幻のJR尼崎港線を散策
こんにちは 食生活アドバイザー ランナーズマイスター のやっさんです。
https://yasumotomasatoshi.hatenablog.com/entry/2019/09/03/202637
神戸マラソンも終わり、早いもので!!いよいよ12月です。
皆様は 風邪 インフルエンザ 体調は大丈夫でしょうか?
今回はネタが付きましたのでランニングついでに 尼崎港線 の記事です。
私が幼少の頃に一度、乗車記憶がありますが曖昧です。
なので、地元の方やランニングしながら 得意の 友達スキル 発動で!!
昔のことを知っているだろうと思えるお年寄りの方や地元近隣の方に取材しながら散歩ランです。
JR塚口〜尼崎港までの路線図
JR福知山線の線路です。
画像上が塚口方面 下が尼崎方面
1番右の線路が尼崎港線です。
現在でも既存してます。
2019 10 27 現在
昔、踏切があったらしいです。
脱線事故があった場所です。
現場の運転士の改善より!!会社が変わらないとダメです!!
利用者も 速さ を求めすぎです!!
JR尼崎方面へは道がありません
なので 市場 から迂回です。
旧尼崎港行き JR尼崎駅
ここに電車が走ってました。
電車が走っていたので異様に道が広い
尼崎で有名なラーメン屋さん ぶたのほしさん
波洲通り 南下「昔は踏切があって渋滞してたわぁ」って歯の無いおっちゃんがいってました(^ω^)
金楽寺駅跡 線路
電車止るやつ?名前が分かりません
(;_;)
旧金楽寺駅
国道2号線 さらに南下
大物公園
でー51
大物公園の敷地内に 機関車 が保存されています。
線路跡
尼崎城があった 明城小学校 を経て
尼崎城の歴史の過去記事
https://yasumotomasatoshi.hatenablog.com/entry/2019/07/14/214123
終点 尼崎港駅
現 倉田運送さん
倉田運送さん 敷地
旧尼崎港駅
概要
1891年(明治24年)に、川辺馬車鉄道の起点駅として開設されたのが始まり。
当時は旧尼崎城内に設置された。
1898年(明治31年)に後身の摂津鉄道を合併した阪鶴鉄道が塚口駅から東海道本線神崎駅(現在の尼崎駅)への乗り入れを始めると、塚口駅 - 当駅間は盲腸線の支線と化した。桜井神社の前にあった四角堀を埋めて新駅とした。
1970年代には貨物列車は1日数往復、旅客列車は1日2往復の停車となっていた。
1981年(昭和56年)に支線の旅客営業が廃止された後も貨物駅として存続したが、1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正で貨物営業も廃止され、廃駅となった。
駅自体は貨物の側線が多くあり広々としていたが、旅客のプラットホームは1本あるのみであった。駅舎もいかにも貨物の取扱所といった趣で、常備券が存在せず乗車券は全て手書きで発行していた。
当駅の主要業務であった貨物取扱は、周辺工場への3つの専用線を発着するものを取り扱っていた。
分岐する専用線は、庄下川を渡り駅南側へ続いていた住友金属工業特殊管事業所へ続くもの、庄下川北岸に沿ってAGC関西工場へ続くもの、その途中から分岐し日本硝子尼崎工場へ続くものがあった。
駅跡地は阪神高速3号神戸線尼崎パーキングエリア(元尼崎集約料金所)の南側にあり、現在は公園となっている。
また、阪神高速高架下部分は日本通運阪神支店の作業スペースとなっており、照明の柱などにその面影を残している。
《協賛》サンコー電機株式会社 goodyグループ
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