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昔の人から学ぶ飛脚走り(ナンバ走り)その1

こんにちは 食生活アドバイザー ランナーズマイスター のやっさんです。

https://yasumotomasatoshi.hatenablog.com/entry/2019/09/03/202637

今回は(飛脚)と言う職業があったのを皆さんはご存知ですよね?

江戸から京都まで500km近くある距離を60〜80時間で走破!!
すげーーー!!


そんな飛脚の歴史と走り方(飛脚走り)(ナンバ走り)をご紹介いたします。

飛脚とは?

当初は専ら公用であった。 
律令制の時代には唐から導入された駅制が設けられていた。
京を中心に街道に駅(うまや)が設けられ、使者が駅に備えられた駅馬を乗り継いだ。
重大な通信には「飛駅(ひえき)」と呼ばれる至急便が用いられた。「飛駅」には「駅鈴」が授けられた。
律令制の崩壊に伴い駅制も廃れてしまったが、鎌倉時代には鎌倉飛脚・六波羅飛脚(ろくはらひきゃく)などが整備された。

これは京都の六波羅から鎌倉まで最短72時間程度で結んだ(駅逓制度による早馬)。

廃絶してしまった「駅」に代わり、商業の発達に伴い各地に作られてきた「宿」が利用された。
室町時代には京都御所と鎌倉府を結ぶ「関東飛脚」が設けられた。

戦国時代には、戦国大名をはじめとする各地の諸勢力が領国の要所に関所を設けたため、領国間にまたがる通信は困難になった。
戦国大名は書状を他の大名に送るため、家臣や寺僧、山伏が飛脚として派遣された。
これらは連携が進む一方、しばしば密使であったので業態化しなかった。
また、人目を忍ぶため徒歩が増えた。

江戸時代に入ると、五街道や宿場など交通基盤が整備され、飛脚による輸送・通信制度が整えられた。江戸時代の飛脚は馬と駆け足を交通手段とした。公儀の継飛脚の他、諸藩の大名飛脚、また大名・武家も町人も利用した飛脚屋・飛脚問屋などの制度が発達、当時の日本国内における主要な通信手段の一翼を担ってきた。

飛脚は明治以降の郵便制度に比較すると費用的に高価で天候にも左右された。また江戸―大阪間は一業者で届けられたのに対し、江戸以東の蝦夷、大阪以西へは別業者に委ねられたが、連携は必ずしも円滑ではなかった。このような理由で、期日に届かないことも多かった。毎日配達しないため、近世の書簡は案件をまとめて記されることが多く、費用的に安価であることや儀礼的な理由で飛脚を用いずに私的な使用人を介して伝達されることも多かった。

Wikipediaより


現在ではトラックや輸送交通網が整備されているために「佐川さん」ぐらいですかね(^ω^)

次回は(走り方)(携帯食)のご紹介です。

日本人古来の歩き方?アスリート達の活躍により「ナンバ歩き」が見直されている!

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